
続きです!
(終わったと思ったでしょ?まだ続くよー)あ、とりあえずこの回でおしまい。
で、以下は僕個人の『トーキョーコーヒー』の解釈の話となります。
★『問題は子どもの不登校ではなく、大人の無理解』
「大人の無理解」とは何か。
「子供がなぜ学校に行かない(行きたくない)か理解してない」
それは、子供が本音を話す前に
「不登校を問題として考えてる」大人達がいて
「不登校になる子どもは親に問題がある」「学校行かないとロクな大人にならない」といってしまう周囲の大人達がいて
「学校に行って良い成績をとってさえくれてれば安心」「学校に行けないウチの子はダメな子」と思う親がいて
先に話した『義務教育とは子供に課した義務ではない』という事を知らないという『無知』が原因にある。
と思う。
先に退路を断たれた思考になった子供は
「どうせ言っても理解されない」「義務だから行かなきゃいけない」
「学校行けない僕はわるい子」「お父さんやお母さんの期待に応えたいけど。。。」
と思ってしまうのでないでしょうか?
『学校にも家にも落ち着く居場所がない』と感じた子供は、どこへ行けばいいのでしょうか?
大人が理解してあげて、まずは家庭が1番落ち着く環境にしてあげることが大切だと思います。
【学校は行っても行かなくてもいい】って選択肢があったら
子供も大人も先生も、もっと楽になるのではないかと思います。
そもそも僕らは自由なはず、なのに勝手に自分達でルールを決めて
そのルールの解釈の違いで悩んだりして不自由になっている。
と思います。
★『戦後から続く、子ども達を均質化し、正解だけを求める現在の教育をアップデート』
「教育」と「学問」と「まなび」とは何か?
「誰の為」で「何の為」なのか
「子供の為」で「子供の将来の為」?よく耳にする言葉ですね。
僕は、「自分の為」で「幸せで樂しい人生をすごす為」に役立つもの。
と考えてます。主体が『自分』というとこがポイント。
「教育」とは
教え育てる事。知識や技術を教え授ける事。人を導いて善良な人間とする事。
人間に内在する素質や能力を発展させ、これを助長する作用。
とあります。主体は『教える側』ですね。
ある先生が教えてくださいました。
教育を英語で書くと『education』その語源はラテン語の『educatio』に由来して
『引き出す』つまり『その人が持つ能力を引き出してあげる事』が教育の本質なのではないか。と
諸説ありますが。
「憧れ」や「こういう人になりたい」という想いから
『まなび(真似し)』、『学問(知識を習得)』することにより『教育(能力が引き出される)』
ということに繋がるのかなと思います。
それが教育の本質であるならば
みんなそれぞれ違う個性を持って生まれてきて、得意不得意がある中で
それぞれの学科に分けて数字で評価して競争させたり、
学年を超えた学習は禁止してまでカリキュラムにそわせて、
子ども達を均質化して正解だけを求める教育とは
一体、誰の為なのでしょうか?
人間は『知りたい』と思った時が1番吸収すると言います。
使うか使わないか分からないものを覚えることってしんどいですよね。
使うか使わないか分からない道具って買わないですよね。
大人の私たちって知らない事あったらどうしてますか?
スマホ使って「検索する」
すると「一瞬」にして「知識」が習得できますよね。
子どもも同じだと思います。
ただし、それは「誰かが用意した答え」であって「自分の答え」では無い場合もあります。
『知恵』という言葉があります。
物事を理解して適切に処理する能力。
理解して自分はどう思うか、どう役立てるか『考える』ことなんだと思います。
これからの【AI時代】は知識を詰め込むことより大事なのは
その知識を使って、知恵を出して
「自分の人生を幸せで楽しく生きる」ことなのかもしれません。
そのためには、『何をやっている時が1番幸せか』が先にくるべきなのかと思います。
大人も子どもも『やりたい事やるのが1番』という事ですね。
そのやりたい事やりながら学ぶ体験学習が理にかなって自然なんだよなあと
僕は思ってます。
『こどもをPCやOSに例えるなら最新版』何ですよね。
そのこどもに対しての環境も最新版であるべき何ですよね。
僕なんて、正直PCに例えたらiMacとかそんなレベルだと思います。
でも子ども達と関わることで中身のOSを最新版に切り替えようと頑張ります。
洗◯教育されてきた常識が邪魔する時も多々ありますが
まずは頭の中にある常識を疑い、1つ1つ丁寧に考えるなおして
大人がアップデートしていくことが大切なんだと思います。
【子は親の鏡】と言います。
『子供の人生を考えて』いるならまず親の自分から!
というわけで、大人の僕らが楽しく幸せな人生を過ごそうぜ!
子供はそこから学ぶ(まねる)ことで肯定感や主体性が生まれる!
というのが僕なりの『トーキョーコーヒー』の解釈です。
長々書いてきましたが、簡単に言うと
【持続可能な方法で大人が自分の人生を楽しんでいれば子供もそうなるんじゃない?】
という一言です。